古文には、物事のよしあしを表現する形容詞が4つあります。
「よし・よろし・わろし・あし」です。
現代語との関係を示すと、
古語 よし 現代語 よい
古語 よろし 現代語 よろしい
古語 わろし 現代語 わるい
古語 あし 現代語 わるい
となります。
現代語の「よい」「よろしい」は、それぞれ、古語の「よし」「よろし」からできました。
一方、現代語の「わるい」は、形の上では「わろし」と繋がっていますが、意味の上では、むしろ、「あし」と繋がっています。
この記事では、「よし」と「よろし」について、主な意味や、注意すべき点を紹介します。
1 古文の「よし」
まずは、「よし」を見ます。
古語の「よし」は、基本的に、現代語の「よい」に置き換えて問題ありません。
どちらも、優れている、すばらしい、といった意味で使われます。
ただし、ひとつだけ注意の必要な言葉があります。
それは、「よき人」という言葉です。
「よき人」という場合、その「よし」が表しているのは、〈身分の高さ〉や、それに伴う〈教養の深さ〉などです。
そのため、「よき人」は、「身分の高い人・教養のある人」の意味として使われます。
この点は、知識として覚えておきましょう。
なお、詳しくは、別記事をご覧ください。
2 古文の「よろし」
次に、「よろし」です。
現代語の「よろしい」は、古語の「よろし」からできましたが、古語の「よろし」を、そのまま、現代語の「よろしい」に置き換えることはできません。
なぜなら、古語の「よろし」と現代語の「よろしい」は、表すニュアンスに違いがあるからです。
現代語の「よろしい」は、基本的に、「よい」と同じ意味で使われます。
しいて違いを挙げれば、「よろしい」の方が、「よい」よりも、改まった表現だといえます。
次の2つの表現を見てください。
(例)とてもよい。
大変よろしい。
「とてもよい」に比べ、「大変よろしい」は、少し硬い表現に感じられるでしょう。
「大変よろしい」は、例えるならば、昔の先生が生徒に向かって使うようなイメージでしょうか。
ただし、意味の上では、「とてもよい」と同じく、誉め言葉として使われています。
これに対して、古語の「よろし」は、〈よさ〉の度合いにおいて、「よし」よりも一段劣ります。
簡単に整理すると、
古語の「よし」 よい
古語の「よろし」 まあよい・悪くない・普通だ
となります。
これを、実際の例で確かめてみましょう。
以下、『源氏物語』から、ふたつの例を紹介します。
3 「まあよい・悪くない」の例
ひとつめは、「まあよい・悪くない」の意の「よろし」です。
(例)えさはやぎたまはねど、ありしよりすこしよろしきさまなり。(源氏物語・若菜下)
(訳)よい気分にはおなりになれないけれども、以前より少し悪くない様子である。
これは、一時、危篤に陥った紫の上という女性が、その後、やや回復した際の様子を記述しています。
「えさはやぎたまはねど」は、「さはやぎ」が「よい気分になる」の意の動詞「さはやぐ」の連用形で、そこに、尊敬の補助動詞「たまふ」の未然形、打消の助動詞「ず」の已然形、逆接の接続助詞「ど」が付いています。
また、冒頭の「え」は副詞で、打消の助動詞「ね(ず)」と呼応して、「~できない」という不可能の意を表します。
一方、後半の「ありし」は、動詞「あり」の連用形に、過去の助動詞「き」の連体形が付いてできた連語で、「以前の・昔の」の意を表します。
そして、その後に「すこしよろしきさまなり」が続きます。
この「よろしき」は、病状が小康状態になったことを形容しており、危篤であった頃よりは、多少、悪くない状態になった、ということです。
ここでは、完全に回復したわけではないので、「よし(=よい)」といえる状態ではないものの、危篤状態を脱したという点で、「よろし(=まあよい・悪くない)」という状態ではある、という意味になります。
この例を見ると、「よろし」が、相対的な評価であることがよく分かります。
4 「普通だ」の例
ふたつめは、「普通だ」の意の「よろし」です。
(例)よろしきことこそ、うち怨じなど、にくからず聞こえたまへ、(源氏物語・朝顔)
(訳)普通の浮気は、恨みごとなどを、奥ゆかしい様子で申し上げなさるのだが、
これは、夫・光源氏の浮気心に気がついた、紫の上を描写する記述の一部です。
光源氏が執心する相手は、朝顔の姫君という高貴な女性でした。そのため、紫の上は、妻としての自分の立場も危うくなるのではないかと不安に思っています。
「うち怨じ」の「怨ず」は、「恨みごとを言う」という表現です。また、「にくからず」は、形容詞「にくし」に打消の助動詞「ず」が付いたもので、全体として「奥ゆかしい・感じがよい」といった意味を表します。
ここでは、紫の上の屈折した心情が読み取れます。
光源氏の浮気が「よろしきこと」であれば、(光源氏に)不快な印象を与えない程度に、恨みごとを言うなどするところであるのに、そうではないために、かえって恨みごとも言えない、というのです。
この場合の「よろしきこと」は、〈浮気をされる人から見ての「よろしきこと」〉という意味で、〈本気ではない程度の浮気〉、つまり、〈普通の浮気〉といったところです。
5 「よろしき人」の場合
本記事の1節で、古文の「よき人」という言葉には注意が必要だと書きましたが、古文には、「よろしき人」という言葉もあります。
次の例は、『枕草子』のものです。
(例)やむごとなき人などの参りたまへる御局などの前ばかりをこそ、払ひなどもすれ、よろしき人は制しわづらひぬめり。(枕草子・初瀬に詣でて局にゐたりしに)
(訳)高貴な人などが参詣なさっているお部屋などの前だけは、人払いなどもするが、普通の人(の部屋の前)は制止しかねてしまうようだ。
清少納言が、初瀬の長谷寺へ参詣した折の記述です。長谷寺は当時、都の女性たちがよく参詣していました。
清少納言は、早く仏様を拝みたいと思っていましたが、身分の低い僧や修行者たちが、遠慮なく立ったり座ったり、額ずいたりしていたため、そのことへの不満を述べています。
「やむごとなき人」は「高貴な人」の意で、「よろしき人」は、この「やむごとなき人」と対比されています。
「よろしき人は制しわづらひぬめり」の「制しわづらひぬめり」は、「(人を)制止する」の意の動詞「制す」の連用形に、「~しかねる」の意を添える補助動詞「わづらふ」の連用形、完了の助動詞「ぬ」の終止形、推定の助動詞「めり」の終止形が付いたもので、「制止しかねてしまうようだ」の意を表します。
「高貴な人」の場合は、その人の部屋の前は人払いがされているのに、「よろしき人」の場合は、人払いをしかねているということです。
寺の対応には、「やむごとなき人」と「よろしき人」との間に差がありますが、それは、「よろしき人」が、「やむごとなき人」よりも身分的に劣っているためでしょう。
したがって、この「よろしき人」は、「高貴な人」よりも身分の低い、「普通の人」の意と見られます。
ただし、ここでいう「普通の人」とは、一般庶民などではなく、あくまでも、貴族の中での「普通の人」という点には、注意が必要です。
6 まとめ
それでは、記事をまとめます。
①古文の「よし」は、現代の「よい」とほぼ同じ意を表す。
②古文の「よき人」は、「身分の高い人・教養のある人」の意を表す。
③古文の「よろし」は、「まあよい・悪くない・普通だ」の意を表す。
④古文の「よろしき人」は、「普通の人」の意を表す。